最近、今は亡き母親の事を良く思う
いつもありがとうございます
私の母親は、もう20年以上も前に亡くなっている、享年78才だと記憶している
晩年は、重いリウマチに悩まされて
辛かっただろうなあと、今は思える
20年以上前でも、田舎でも亡くなる時は
病院が多い中 母親は自宅で息を引き取った。
忘れもしないあのとき、田舎の、父親から
📞がかかってきた!
今度二日に帰った時に、ばあさんを見舞ってやってくれないか!
もう危ないんだと、
その日は1月29日でした。
主人に、田舎からの電話の事を話すと
とにかく🔜に帰ってみようと、言ってくれて、明くる日の早朝に奈良の🏡を出て
実家に着いて、母親を見舞った。
意識はあるものの
会話することは、ままならない状態だった
午前中に着き、主人は、夕方に奈良に帰って行った。私は、取りあえず実家に泊まる事にして、母親のそばについていた
が、あろう事か、母親は私が奈良から駆けつけたのを待って居たかのように
息を引き取ってしまった
町内に嫁いでいた下の姉は、私と母親の旅立を見送る事ができたけれど
🚙で一時間足らずのところに嫁いだ、長姉と妹は間に合わ無かった
雪が深々と降り積もった
寒い日でした。
母親は、私が言うのも、なんだけど
不器用な人でした。
👚や着物を縫ってもらったり記憶も
ないし、料理も野菜の煮たのばかり
たまに、🐟の煮付けや焼き魚
子だくさんで、農業一筋で生計をたて
苦労続きの人生だったと思う。
今になってみて、母親の辛抱強い心が
わかる気持ちがする、
父親とは、ひとまわりも離れていて
財産も無い農家に嫁ぎ、6人の子育てをしながら、良く頑張ったと思う、父親は
今で言うならば、飛んでる人(^^;)
農業をしながら、良く📗を読み
なんでも新しい事に興味を持つ人だった
二言目には、💰が🏡にあれば
上の学校に上がり、先生になりたかったと話していた、確かに今の時代なら
それも叶っていたと思うが
戦争にも行った父親、私たちに
戦争の話しをすることは、あまり無かったけれど、敵地で汽車から
飛び降り命からがら生き延びた事を、さも楽しそうに語る父親の姿を覚えている
二言目には、どんな事も考えながら
仕事お手伝いをするように、能率よく
するにはどうしたら良いか、
考えてしなさいと
良く言われたものです
父親と母親の生きた時代とは、違うけれど
どんなことも諦めずに、やり抜く事を
身をもって、教えてくれた事には 今になって、有り難いなあと、感じている。
さてさて、私たちが旅だった時に
四人の子供達は、なんと話すのかなあと、想像してみた。オカンはやかましい人だったなあと話すと思う(^-^)
おとんは、頑固でややこしい人だったなあ(笑)きっとそう、四人の子供と
それにつく伴侶は、そう話すと思うと愉快でたまらん(笑)
まだまだ生きまっせ(^^)