kuro0314のブログ

 愛猫のんちゃん、21年間生き抜いて、2021年🌈に、🍄さんが描いて🙇‍♀ました

最近、今は亡き母親の事を良く思う

いつもありがとうございます

私の母親は、もう20年以上も前に亡くなっている、享年78才だと記憶している

晩年は、重いリウマチに悩まされて

辛かっただろうなあと、今は思える

20年以上前でも、田舎でも亡くなる時は

病院が多い中 母親は自宅で息を引き取った。

忘れもしないあのとき、田舎の、父親から

📞がかかってきた!

今度二日に帰った時に、ばあさんを見舞ってやってくれないか!

もう危ないんだと、

その日は1月29日でした。

主人に、田舎からの電話の事を話すと

とにかく🔜に帰ってみようと、言ってくれて、明くる日の早朝に奈良の🏡を出て

実家に着いて、母親を見舞った。

意識はあるものの

会話することは、ままならない状態だった

午前中に着き、主人は、夕方に奈良に帰って行った。私は、取りあえず実家に泊まる事にして、母親のそばについていた

が、あろう事か、母親は私が奈良から駆けつけたのを待って居たかのように

息を引き取ってしまった

町内に嫁いでいた下の姉は、私と母親の旅立を見送る事ができたけれど

🚙で一時間足らずのところに嫁いだ、長姉と妹は間に合わ無かった

雪が深々と降り積もった

寒い日でした。

母親は、私が言うのも、なんだけど

不器用な人でした。

👚や着物を縫ってもらったり記憶も

ないし、料理も野菜の煮たのばかり

たまに、🐟の煮付けや焼き魚

子だくさんで、農業一筋で生計をたて

苦労続きの人生だったと思う。

今になってみて、母親の辛抱強い心が

わかる気持ちがする、

父親とは、ひとまわりも離れていて

財産も無い農家に嫁ぎ、6人の子育てをしながら、良く頑張ったと思う、父親は

今で言うならば、飛んでる人(^^;)

農業をしながら、良く📗を読み

なんでも新しい事に興味を持つ人だった

二言目には、💰が🏡にあれば

上の学校に上がり、先生になりたかったと話していた、確かに今の時代なら

それも叶っていたと思うが

戦争にも行った父親、私たちに

戦争の話しをすることは、あまり無かったけれど、敵地で汽車から

飛び降り命からがら生き延びた事を、さも楽しそうに語る父親の姿を覚えている

二言目には、どんな事も考えながら

仕事お手伝いをするように、能率よく

するにはどうしたら良いか、

考えてしなさいと

良く言われたものです

父親と母親の生きた時代とは、違うけれど

どんなことも諦めずに、やり抜く事を

身をもって、教えてくれた事には 今になって、有り難いなあと、感じている。

さてさて、私たちが旅だった時に

四人の子供達は、なんと話すのかなあと、想像してみた。オカンはやかましい人だったなあと話すと思う(^-^)

おとんは、頑固でややこしい人だったなあ(笑)きっとそう、四人の子供と

それにつく伴侶は、そう話すと思うと愉快でたまらん(笑)

まだまだ生きまっせ(^^)

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